僕は、ものすごく緊張しいだ。
たぶん緊張しない人などいないと思う。そう信じている。
じゃないと、なんで自分だけこんな緊張するんだと、理不尽さを拭い切れない。
身体が強張り、心臓が破裂しそうになり、喉がカラカラになって、手足が震える。
そんな時、どういう心持ちでいるのが一番良いのか、これまでの経験を元に記しておきたいと思います。
① 芸人になりきる
1番はじめに思いついたのが、自分を芸人だと思い込むことです。
これは決して、緊張しそうになったら、「周りを明るくしようと徹する」とか「汚れ仕事に徹する」とかそういうことではなくて、何か大きな失敗や事件に巻き込まれても、後で笑い話にできる、と考えることです。
以前に何かの番組で、アンタッチャブルの山崎さんがドッキリを仕掛けられていて、そのドッキリというのが「普段ちゃらんぽらんに見える山崎さんに子役の女の子が真剣に相談しにきたらどう対応するのか」を検証するものでした。
Youtubeで探しても見つからなかったので、動画で紹介できないのが残念ですが、その時山崎さんが仕事のことで悩んでる(フリをしている)子役の子に対して、「何が起こっても後で笑い話にできると考えたら、怖いことないよね」という風なことを言っていたのです。
昔の話なので、正確に何と言ったのかは覚えてませんが、その時僕はすごい納得して、「あぁ、そういう風に考えれば、どんなことにもチャレンジしていけるんだな」と画面を通して僕が救われたのでした。
それからというもの、緊張する場面に出くわした時、山崎さんのこの言葉を思い出します。
② いい意味で自暴自棄になる
語弊があるかもしれないけど、「もうどうにでもなれ!」と一種の勢いをつけて何事も飛び込んでいくのもアリだと思っています。
前に彼女に振られたばかりのとき、少しヤケになっていたんですが、それがまたもともと出不精で行動力の少ない自分にとっては、新しいことに挑戦する原動力になっていました。
やはり人に嫌われたり、怒られたりすることに対して、人並み以上に恐怖を感じてしまうため、何事にも億劫になりがちなんですが、彼女に振られた辛さに比べたらどうってこと無いって思いますし、人に何言われようがどうでもいいや、と考えることができて、フットワークが軽くなりましたね。
そういう不幸なことがなくても、「死ぬことはないんだから」といろいろなことにチャレンジできるようになりたいですね。
③ 全て自分の人生だと思い込む
ちょっと意味不明かもしれませんけど、これはですね、自分の周りで起こる全てのことを受け入れることですね。
現状に満足するするとかしないとかいう話ではなくて、物事の全てに理由があって、それを受け入れ、理解していくのです。自分の理解できない心の動きもそうです。
例えば、同じことを何回も失敗してしまったとしても、自分の能力に怒りの矛先を向けるのではなく、その経験を通して何がわかったのかを考えていくことに注力するのです。
自分のことって意外とよくわからないじゃないですか。振り返ると、「あの時何で怒っていたんだろう」とか「何であんな決断をしてしまったんだろう」と。それを他人に指摘されたとしても、自分でもよくわからないので、説明もできずに、他人と自分に苛立つ。
こういうのを辞めようということです。
当時の自分の気持ちや行動が理解できたなったとしても、「何らかの原因や要素があって、あの時の自分はそういう風に行動したんだ」と、納得してしまうと楽になります。
もし他人に自分の過去の愚行を指摘されたとしても、
「その時は、それしか考えられなかったんだ。仕方ないじゃないか。」
というスタンスで行くのです。
それが他人から見れば、自分のしたことが間違った行動だったとしても、他にベストな方法があったとしても、その時行動した自分は紛れも無いひとりの人間が起こした行動なんです。僕らはただフラフラ漂うタンポポの種でもないし、決まりきった行動しかできないロボットでもない。合理的な判断ができなこともある、感情的で中途半端な生き物が僕たち人間なのです。
そういった人間らしい失敗のする経験も、誰のものでもない、かけがえのない自分という人間の人生のひとつだと思えれば、自分の人生も悪くないなと思えるわけです。
これを考える時、ひとつのマンガのセリフを思い出します。
それは佐々木ミノルさんの『中卒労働者から始める高校生活』というマンガのセリフです。
そんなこと?
そんなこと 気にしてる俺はおかしいか?
この程度で自分を可哀想がって おかしいか!?
仕事があるだけ有難いと思えってのか 家があるだけ恵まれてるって!?
散っ々言われて来てんだよ 「もっと不幸な人間いっぱいいるんだから」って!!
知らねぇよ!!!
これは俺の苦しみだ 俺の持ち物だ! 持ってねぇ奴がごちゃごちゃうるせえよ!!
自分が中卒という事実をよく思っていない学歴コンプの主人公に対して、「中卒なんて関係ない」と言ったヒロインに向かって発したセリフです。
このセリフを読んでから、「あ、僕もこんなふうに考えればいいんだ」と思いました。
他人から見れば、「そんなことで」と思われるかもしれない自分の悩み。自分自身でも「しょうもない悩み」ということを頭では理解しているんだけど、その悩みさえも「自分の持ち物」だと考えることで、不思議な事に自信が持てるのです。
自分のモヤモヤした心の中を的確に表してくれた、すばらしいセリフだと思います。
④ 神様・先祖様に祈る
そして、本当にどうしようもなくなった時は、目に見えない何か大きなものに頼るしかないと思います。
日本では、1995年に起こった「オウムの地下鉄サリン事件」のおかげで
宗教 = 危ない
の図式ができあがってしまっていますが、個人的に宗教は人間にとって必要なものと考えています。
例えば、キリスト教は砂漠で生まれた宗教だと言われているのですが、人間が砂漠という過酷な環境の中で生き抜いていくためには、宗教に頼らざるを得ない状況だったんです。というか、「神様が存在して常に自分たちを見守ってくださっているんだ」とせめて心の中では安息を求めていないと、生きていけない状態だったのではないでしょうか。
ここで「宗教の名を掲げて世界で戦争が起こっている」とか、現在の紛争の理由に宗教が関わっている事実を元に、「宗教は戦争の原因だ」とかいう類いの話をするつもりはありません。
ただ宗教の成り立ちを考えた時、どうしても宗教は重要なものだと思えてくるのです。
実は、それを実感した出来事があったんです。
なんか神秘的体験をしたとかそういう「オカルトチック」なものではないんですが、僕が初めて会社に入った時のことです。
その会社は、いわゆるブラックというか、かなりグレーゾーンの仕事だったんです。
マンションで訪問販売をする仕事だったんですが、基本的にマンションでは訪問販売は禁止されています。法律で裁かれる訳ではないんですが、住人の中にはそれをよく思わない人もたくさん居て、管理人さんに見つかりようもんなら、すぐ追い出されてしまいます。
警察に通報されることもありますし、怒ったマンションの住民の方に胸ぐらを掴まれたこともあります(笑)
今でこそ、こうやって笑い話に出来ますけど、当時の僕は本当に毎日ビクビクしながら営業していました。
マンションのエレベーターに乗ると「訪問販売禁止」と赤く書かれた張り紙。「見つけた方はすぐに連絡ください」と書かれた備考欄。それを読みながら、「今から行く部屋の人がこれを読んでいたらどうしよう」と不安になりながら、飛び込み営業に向かうわけです。
そんな時に、僕がすがれるものって「神様」とか「死んでしまったおじいちゃん」とかしか無いわけです。
「大丈夫だ、僕のこと好きだったおじいちゃんが天国から見守ってくれてるはずだ」と考えて、心を落ち着かせるのです。そうでもしないと不安で押しつぶされてしまうからです。
この時、僕は「キリスト教は砂漠で生まれた宗教」の本当の意味を理解しました。
神様がいるのかいないとか、そんなことはどうでもよくて、機能論的に宗教が必要なのだと実感した瞬間でしたし、実際そう考えることで何とか続けていけましたし、気分が少し楽になるのです。
おわり
この考え方が、誰かを少しでも楽にしてあげられるといいのですが、これは自分の為でもあります。
いざ不安が襲ってくると、頭は正常に働かないため、こういった緊張や不安を取り除く方法を忘れてしまいます。
なので、不安になった時はこの記事に立ち返って、リラックスできるようにしたいと思います。
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