本来、子育てに関する指南書のようなものだと思うのだけど、僕は少し違った形で受け取っている。もしかすると子どものためではなく、純粋な気持ちを忘れてしまった大人がもう一度大切なことを思い出すために必要なのかもしれない。
『アメリカインディアンの教え』
批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします
敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います
ひやかしを受けて育った子は、はにかみやになります
ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしていような気を持ちます
心が寛大な中で育った子は、がまん強くなります
励ましを受けて育った子は、自信を持ちます
ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます
思いやりのある中で育った子は、信頼を持ちます
人にほめられる中で育った子は、自分を大切にします
仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます
今から何年前だろうか。でもその時のことは忘れもしない。僕がまだ高校生で、表向きスキー合宿という名の修学旅行に来ていた時のこと。何故だかわからないけど、授業で配布されたこの「教え」が印刷されたプリントを持っていて、この内容に関して友達と少し話すこととなった。もちろん修学旅行中、授業で取り上げられた内容に貴重な時間を使うはずはなく、ただ目についたからついでにちょっとこれに関して喋っただけだった。しかし、このことが生涯自分の支えになるとは当時思いもしなかった。
僕はどちらかと言えば、引っ込み思案で内気な性格で、それに加えどんくさい面もあり、クラスでもからかわれたり冷やかされることの方が多かった。しかし、その時はいつも僕をマザコンだとからかう友達が「〇〇(僕の苗字)やったら、この教えの最後の文(達成)できそうやな」と言ってくれたのだ。それに賛同するように一緒に居た別の友達も「そう思うわ」と首を縦に振ってくれた。彼らがどんな思いでその言葉を発したのかはわからない。修学旅行マジックで一時的に彼らを血迷わせただけかもしれない。でも、彼らがいつものようにからかう為に言ったのではないことは僕にでもわかった。自分がどんくさくて、頭悪くて、どうしようもない馬鹿だなといつも蔑む自分に少しだけ自信を与えてくれた。自分の生き方が肯定された気がしたのだ。
それからというもの、自分の能力に自信がなくても「みんなから愛される方が大切だ」と考えられるようになった。僕が本当に頭のいい、ひとりでなんでも出来る人間だったとしたら誰も寄り付かなくなるかもしれない。馬鹿だから誰かの力を借りなければならない。馬鹿だからみんなが助けてくれる。「お前は馬鹿だなぁ」と笑ってくれる。強がらずに、粋がらずに、知ったかぶらずに、自然体で「愛」だけ見つめれば生きやすいかな。
…というようなことを、とても昔にどこかのサイトで書いたことがある。
今、自分は新しい節目の時にいる。僕の周りにいる人は、この詩を読んだとき、同じように僕のことを考えるだろうか。それともまた違った考えを持つのだろうか。あまり昔のことを考えるのは好きじゃないけど、自分の文章を読み返すのは、たまには良いものだ。
コメント