ホーチミンで友達の結婚式に参加
以前から訪れたいと思っていたベトナムに行く機会があった。
アメリカの大学にいたとき同じ時期に入学したベトナム人の女の子Pが結婚式を開くというので参加させてもらうことになったのだ。
飛行機はVietjet(ベトジェット)を利用した。お金のない僕はできるだけ安いチケットを見つけたかったのだが、Vietjetは確かに一番安かった。10月後半というそこまで人気の季節ではなかったからかもしれないけど、1か月前の購入にも関わらず往復で3万円という非常にリーズナブルな価格だった。後でクレジットの請求を見たとき、飛行機チケット台と思えないが普通の買い物にしてはちょっと高いその金額に不正利用を疑ったものだ。
しかし注意が必要だったのは、預ける荷物は別料金だったということだ。3500円という元のチケット代にしては安く思えないお金を空港で払うことになった。まあ元が安いから別に良かったのだけども。
大阪から6時間かけてホーチミン(サイゴン)に着いた。税関申告書の記入も必要なく入国審査もスムーズだったが、荷物受け取りまではとても時間がかかった。なかなかあのベルトコンベアに現れなかった。
すぐに結婚式があったので、トイレでスーツに着替えて、まずはシムカードを買いに行った。荷物受け取り場所を出てすぐのところにいくつかブースがあり、シムカードを頼んだ。10日間で10GB使えて3500円、普段日本で1か月3GB+電話番号ありで1500円のシムを使っているのからしたら割高だけど悪くはない。4万円を両替して約800万ドン(80,000,000VND)も準備。ほんとこの国の通貨はゼロが多くて計算が大変だ。
それからタクシーを使って友達の家へ。ここではGrabかUberを使ってタクシーを呼ぶのが良かったようだ。その辺にいたタクシーの呼び込みに付いて行ったら最初は600円ぐらいって言ってたのに、最終的に2000円ぐらい請求してきた。結局1500円ぐらいに値下げしてもらって友達から聞いていた住所の近くで降ろしてもらった。運転手は不服そうだったけど、呼び込みの人と運転する人が別で、英語もあんまり通じないからコミュニケーションが大変だ。
車を降りると熱気が顔に吹きかかる。34℃で湿度もバッチリ。道路が狭くて、家は日本では違法建築になるどうろうと思われるほど、お互いひしめき合っていて、昔行ったインドの街並みを思い出させる。
30分ぐらい人に聞きながら歩き回ったけど見つからない。なんで住所があって家ごとに番号が割り当てられているのに誰もわからないんだろうと路地で突っ立っていると、その路地の奥からおそらくアオザイと思われる衣装に身を包んだ友達を先頭にぞろぞろと人が歩いてくるのが見えた。「Y(僕の名前)!」と友達が叫び、ようやく何年かぶりの再開を果たした。ホッとしていろいろ話したかったが、どうやら別の場所にみんなで移動する儀式?の途中らしく、時間がないようだ。すぐにかばんを置いてこいと言われ、Pの家にかばんを置き、言われるがままにバスに乗せられどこかへ向かった。
どこへ向かうのかわからないまま、バスというかバンに座って15分。5分で着くと言っていたけど、時間がかかっているようだ。ベトナム人は時間をかなり短めに言うのかもしれない。安心したのは、Pがアメリカにいたときのホストファミリーも来ていたことだ。僕も何度か会ったことがあり、どこに向かっているかわからないし、周りは知らない人ばかりの状況を察してか「大丈夫、私もどこに行ってるかわからないから。私のそばにいなさい。」と言ってくれた。天使だと思った。
どうやら向かっていたのはPの旦那さんの実家のようだった。何かしていたけど、よくわからない伝統的な儀式のようだ。わからない、と言ったのは僕は中にも入れてもらえなかったからだ。両家の親とかホストファミリーは入れるけど、その他の友達とかいとこは中に入れないルールみたいで、だから何をしていたかイマイチわからなかった。
そんな中、Pの幼馴染だというA君がいろいろ気を使って話しかけてきてくれた。彼は現在オーストラリアに住んでいるらしく、使う英語も綺麗で気さくないい人だとすぐにわかった。その場所がPの旦那さんの家だということもAのおかげで分かった。彼も明日にはオーストラリアに帰るらしい。
その儀式の後、また別の場所に向かうようだ。でもプレゼントとか全部かばんと一緒に置いてきたので、Pの家に一度帰らせてもらった。おそらくPの親戚のうちの誰かと一緒にタクシーでその場所へと向かった。実のところ、少しその時すでにカルチャーショックを受けていた。それはPの実家のことである。お世辞にも住みやすそうとは言えない家の作りになっていて、ゴキブリは平然とした顔でいるし、窓があるべきところにそれがなくおそらく生き物が入って来放題だった。Pはアメリカに留学するぐらいなので、決して貧しい家庭ではないはずだのだが、恥ずかしいことに少しビックリしてしまった自分がいる。旦那さんの実家も似たような感じだった。
そのあとの披露宴だったので、僕の脳みそは少し偏っていたのかもしれない。会場の前には赤い20人ぐらいのアオザイを着たお姉さんたちが来場者を迎え入れ、中には10人ぐらい座れるテーブルが40台弱あった。低く見積もってもトータルで350人ぐらいは参加していたことになる。控えめに言ってとても豪華な結婚式だった。
友達のPは来場者との写真撮影で忙しそうだし、新しく友達になったA君もまだ到着していない。どうしたもんかとひとりでビールを飲んでいると「Hey, Y(僕の名前)」と呼びかける声が。振り向くとアメリカで同じ大学に通っていたベトナム人のM君がいた。正直、そんなに仲の良い関係ではなかったのだが、ほとんど知らない人ばかりの中で知り合いに会えたのでとても喜んだ。まだアメリカにいると思っていたけど、どうやらインターンでベトナムの会社に来ているらしかった。最近の近況を報告しながら、同じテーブルに座り披露宴を共に楽しんだ。
披露宴自体も素敵だった。若い人のダンスから始まり、新郎新婦が入場。定番のケーキ入刀、シャンパンタワー、おじさんたちの歌と演奏。「おじさんたち」といっても、ほとんど2人の同じおじさんが交代で歌っていた。その前で自分をお姫様と思っているであろう小さな女の子が即興でダンスし、それをリードしようとするまた別のおじさん。見ようによってはカオスだけど、僕は新鮮に感じたし、なにより微笑ましかった。
ミュージックバーで素敵な歌手を見つける
披露宴も終了し、みんなが帰り始めた。最後に披露宴中会えてなかったA君に挨拶をしようと、A君のテーブルに行って少し話した。その後、僕はPが取ってくれたホテルに行くために、ある女の人に付いて行かなくてはならなかったのにどうやらすでに帰ってしまったみたいだ。困っているとA君が一緒に帰ってくれるとのこと。しかも直接Pの家に帰るのではなく、ちょっと離れたナイトクラブが多く立ち並んだストリートを歩いて帰ろうと提案してくれた。
もうこれ以上ないってぐらい賑やかで、そえぞれの建物から大音量の音楽が聞こえてくる。僕ももういい歳だけどさすがにテンション上がる。日本にはおそらく存在しないそんな賑やかな場所をブラブラするだけでも僕は楽しかったが、A君は「着替えて戻って来よう」とまで言ってくれた。といっても彼は何も持ってきてないので、僕だけPの家でシャツを着替えてまた賑やかなナイトクラブの通りに繰り出した。僕が着替えてる間、いい感じのバーをネットで探してくれていたらしく「Thi」というライブバーに連れて行ってくれた。
30年ぐらいの人生でライブバー?ミュージックバー?という形態のお店に行く機会はなかったので、どんなもんかと思っていたんだけど超最高であった。その日はラテン系のバンドが演奏していて、ボーカルのお姉さんはカーリーなロングの金髪をなびかせながら、ちょっとハスキーの効いた大きな声量でダイナミックにパフォーマンスしていた。しかも終始ニコニコしていた。僕は一瞬でファンになった。さっきまでの友達の披露宴の感動をかき消すほどに盛り上がった。感謝だよ、A君。途中でPとその旦那さんも合流し、結局夜中の12時までラテンのお姉さんの歌を聴き続けた。「Senorita(セニョリータ)」は今でも耳に残っている。本家よりセクシーに歌い上げていたと思う。
感動した僕はステージの裏の階段で休んでいたお姉さんに握手を求めた。同時に「僕は日本から来たんだけど、ぜひ日本で演奏してくれ」と図々しく頼んだ。どうやら日本に来る予定は無いようだけど、代わりにFacebookページを教えてくれた。「NexusBand」まだ結成1年目で有名なバンドではないみたいだけど、大阪で演奏するなら毎週そのバーに行くんだけどな、と思った。日本にEXILEとかジャニーズの追っかけをしている友達がいるけども、その人たちの気持ちがわかるようになった。大阪でラテンのお姉さんが歌うバーを探そう。
ホーチミンの夜を楽しんでほしかったと言う心優しいA君とも別れ、Pが用意してくれたホテルに戻った。お世辞にも良い部屋ではなかったけど、確かにPの実家で寝るのは難しいかもしれないなとも考えた。(もともとはPの実家で寝る予定だったのだ)
2日目
濃い初日を終え、2日目の朝はひとりで少し散歩した。ハイランドコーヒーという(ベトナムのスターバックス)でコーヒーを頼み、近くの公園のベンチに座る。人々がご飯食べたり、本を読んだり、ヨガをしたりしている。コーヒーはかなり濃かった。苦いチョコレートのような香りがした。
迷惑にならないぐらいの時間に、Pの実家に顔を出した。みんな今日はゆっくりするようで、昨日の緊張した感じはない。Pが結婚式で使ったドレスを返しに行くというので、それに付いて行くことになった。帰りはタクシーを使わず、Pと歩いて帰ることに。
ココナッツを初めて飲んだ。
大好きなフォーの店にも寄ってくれた。ここがベトナム旅行中に食べたフォーの中で一番だった。
家に帰ってからはかなりゆっくり過ごした。Pのお母さんは昨日はあまり話しかけてくれなかったけど、今日は僕とコミュニケーションを取ろうとしてくれる。やはり機能は娘の結婚式で僕のことを気にかけてる余裕はなかったんだろう。もしかしたら、僕が家族に持ってきた菓子折りが何かお母さんに良い影響を与えたのかもしれないが(笑)
Pのお母さんが剥いてくれる、マンゴー以外見たこともないトロピカルフルーツをつまみながら空港へ出発するまでの時間を過ごした。アメリカでたまに僕のアパートに来てだらだらと過ごした時間を思い出させてくれる。お昼の2時ぐらいには出発した方が良いと言われ、タクシーを呼んでくれた。Pがタクシーにもうお金を払ってくれたので、今回はもう運転手と争う必要はなさそうだ。Pは旦那さんが住むカナダに行くことになっている。しばらくは会えなくなるだろうけど、結婚式に参加できてとてもよかったと思う。しっかり目にハグして、ハノイに向かった。
ハノイにいる親友に会いに行く
この旅では全てVietjet(ベトジェット)を利用した。ホーチミンからハノイまでほぼ毎時間飛んでいて、料金も3000円ぐらいで非常にお手頃だった。しかし国内線は遅延が多いらしく、ベトジェットは「SorryFlight」と呼ばれていると友達が話していた。いつも謝ってばっかりということだろう。実際、僕の時も2回遅延があって、予定より1時間半ぐらい遅れて、結局着いたのは8時過ぎだった。ハノイの空港に迎えに来てくれた友達のBは6時には着いていたので、2時間ぐらい待たすこととなった。ごめんよB。
このBは僕より2コ下の女の子だ。ほぼレズビアンで僕より男っぽい。Bは僕がアメリカにいたときにアパートに一緒に住んでいたルームメイト(一緒の部屋に住んでいたわけではないから、正確にはアパートシェアメイトというべきかな)だ。お互い国に帰った今でもほぼ毎日メッセージのやりとりをしているベストフレンドだ。断わっておくが、男女の関係では決してない。去年の年末年始、台湾に一緒に旅行したことがあって、泊まったホテルにベッドがひとつしかなかったときは、ちゃんと僕は床で寝たりしていたぐらいだ。Bの実家に泊まることになっている今回も
「ベトナム人の文化的に男女の友情という言葉が親の頭の辞書に存在しないから、Y(僕の名前)のことはゲイだと親に伝えてあるから。」と言われた。
「じゃあBの親に会ったら、『はぁ~い。はじめましてぇ~。よろしくね、うふん。(ゲイっぽく)』ってあいさつしないとね。」って言ったら、Bは汚物を見るような目でこっちをチラと見た。
1時間ぐらい運転して、Bの実家についた。前日のホーチミンでみたPの実家をイメージしていたのだが、Bの家は違った。いわゆる高級マンションだった。26階まであって、エレベーターは指紋認証で、共有スペースはちょっといいホテルを彷彿とさせる。お金持ちだろうなとは思っていたけど、昨日のカルチャーショックの後だったのでまたもやビックリした。
Bの家族は前情報で警察の本部で働いていると聞いていたので、ちょっとドキドキして会ったんだけど、実際は気さくに話しかけてくれる優しそうな夫婦だった。Bの年の離れた妹も日本のアニメが好きで、ちょっとだけ日本語を知っていた。「はじめまして」とか「いただきます」とか。僕が持ってきた菓子折りをつまみながらの談笑もそこそこに、明日の朝は6時半に出発するとのことだったので、早めに休むことにした。昔、祖父母が使っていたという部屋を使わせてもらって、眠りについた。明日、Bの運転するスクーターでNinh Binhという場所に行くことになっている。
バイクの後ろで悲鳴をあげる30歳男子
朝はBがドアノックしてくれて起きた。6時ごろだった。大体準備は済んでいたので、朝ごはんを食べていたBの父親と妹と少しおしゃべりしながらBの準備を待った。やはりというべきか、ベトナム人に限らず時間通りにはいかないのがお決まりだ。その日も結局7時過ぎに出発した。地下にあるスクーター置き場にいき、ヘルメットを被ったり準備をする。大気汚染が酷いらしく、マスクを付けるように言われる。しかもフィルター?付きの高機能なやつだ。ひもがキツくて耳が痛くなりそうだったので、緩めようとしていると、優しいBは「わたしがやってあげる」と手伝ってくれる。しかし、引っ張りすぎてひもが留め金から外れてしまい、壊れたマスクを返してきた。優しいでしょ?結局、新しいマスク、しかし高機能でない一般的なマスクを近所で買って出発。ひものはずれた高機能マスクの上に2枚のマスクをかぶせる形で喉を保護した。
外は想像以上だった。排気ガスの量もそうだが、バイクはそこら中走り回っており、前に行くためには歩道も平気にバイクが走る。普段バイクに全く乗らないし、後ろに乗るなんて初めてだった僕は、必死にバイクとBにしがみつく。Bは、ことあるごとに叫びながらしがみついてくる僕を嫌がっていたけど、これから2時間半のバイク旅が始まった。
マスクを3枚重ねていたのに喉はなぜかイガイガする。だんだん田舎になる景色に飽きることはなかったけど、鳴りやまないクラクションと慣れないバイクにすぐにヘトヘトになる。休憩がてらにさとうきびジュースを途中で飲んだりしてほとんど1本道のバイク旅は過ぎていく。
目的地が近づくにつれて、右折したり左折したりすることが増えてくる。ナビは僕の役目だ。グーグルマップのナビを起動して、曲がる頃になったら僕がBの耳元に近づいて大声で「Next, turn right!!」と叫んで指示する。しかし、Bには右と左を判断することが苦手なのを忘れていた。だから、僕がぐっと前に乗り出してスマホのグーグルマップをバイクのメーター辺りに持って行ってB自ら確認してもらうスタイルに変更して、なんとかホテルまで辿り着いた。
ベトナムのマチュピチュHang Mua(ハン ムア)
荷物を置いて、近くでヤギ肉を食べ、苦いベトナムコーヒーを飲んで、最初の目的であったHang Muaに来た。このNinh Binhというエリア自体、僕の買ったガイドブックには載っていなかったが、外国人がたくさんいたのでそれなりに有名なところなんだろう。このHang Muaという場所は、ベトナムのマチュピチュと呼ばれているようで、隣を登っていた知らない外国人も「昔マチュピチュ行った時もこんな感じだったよ」みたいなことを喋っていた。
とにかく岩山なので、階段を登っていくわけだけどかなり急な勾配だ。場所によっては、足を踏み外すと崖から真っ逆さまに落ちてしまう危険な場所もあって、何人かは落ちて死んでいるだろうなとしょうもないことを考えながら黙々と登った。風が強く、下から吹き上げるそれに、麓で買った傘帽子が飛んでいきそうになる。帽子を持つのに片手が塞がるのも、登るのに危ない。ただ景色は最高だった。去年、台湾の景勝地で謎に川沿いを10キロぐらい一緒に歩いた時も思ったけど、一応女性だし、普段スポーツとかしてなさそうなのに、こうやってアクティブに遊んでくれるBはありがたかった。
その後、たぶんB本人はあんまり興味なさそうだけど、歴史的な建造物が点在する公園に連れて行ってくれた。興味深かったのは、そこら中に漢字が使われていたことだ。案内板に中国人観光客のために漢字が使われていた、という意味ではなく、昔、ベトナムで漢字が使われていたということである。Bはその文字のことを「昔のベトナムの文字だよ」と説明していたけど、どう見ても漢字だった。古典が得意な人ならちゃんと文章として読めそうなぐらい僕ら日本人に親しみのある文字が使われていた。やはりアジアのルーツは中国にあるのだなと再認識させられた。
その夜は、Bが文句を言うほどの粗悪なレストランで晩御飯を食べ、ヘトヘトな状態でホテルに到着。Bがシャワーを浴びている最中に停電が起こるというハプニングはあったけど、平和に次の日の朝を迎えた。
3日目
Trang An(チャン アン)はハロン湾より良い?
この日はTrang Anというところで川下りをする予定だった。もともと僕はガイドブックにあった有名なHa Long Bay(ハロン湾)に行きたいと伝えていたんだけど、Bは「こっちの方が良いから」と勧めていた場所だ。結論から言ってしまうけど、今回訪れた場所の中に一番美しい場所だった。
ホテルからも5分ぐらいで着く、というか前日にその前を3往復ぐらいしていた場所で、地図もなしに行けた。ボートが大量にあったので、繁盛記にはもっとたくさん人が来るかもしれない。僕ら2人以外にベトナム人カップルと一緒にボートに乗る。おばちゃんが手漕ぎのパドルで3時間の川下りだ。3時間もおばちゃんに漕がせるのは申し訳ないと思ったけど、途中3回ぐらいお寺を見るために上陸するし、お客も足元にあるパドルを使って漕ぐこともできる。他のボートでは、部活動か!と思うぐらい乗客全員で必死に漕いでいるグループもいた。僕はゆっくり景色を見たいと思った。
コースにもよるんだけど、僕らが選んだコース2では洞窟を3つぐらい通った。洞窟の中も良かったんだけど、一番感動するのは、洞窟を出た瞬間に渓谷がぱあっと視界に現れることだ。天気も良かったのが幸い。バイクに乗っているときみたいにクラクションが鳴り響くこともなく、聞こえるのは水の音と時折聞こえる鳥のさえずりだ。ここ最近でもっともゆったりとした時間が流れていた。
思ったより3時間というのはあっという間だったけど、かなり幸せな気分でボートを降り、バイクに乗ってハノイに向かう。もうバイク初心者の僕に気を使うことはなくなったのか、昨日よりだいぶスピードを出した。風の音が大きくて、会話するのも難しい。太陽の日差しがキツくて、半ズボンを履いてきたことを後悔した。日の当たっている左足が焼けるように熱い。Bに「だから長ズボンを履きなさいと言ったでしょ」とあとでグチグチ言ってくるだろう。
そんなことを考えていたら、道路の前に人が立ちはだかり停まるように促され、Bはバイクを停止させた。警察だ。一瞬何が起こったかわからなかったけど、この制服を着た人たちはおそらく警察だろう。パトカーもある。Bが「Oh My God」と叫んでいる。運転手のBはパトカーの後ろに行って、警察と何かしゃべっている。何かおもしろかったので、それを後ろから撮影した。後で聞いたんだけど、警察の人に「あの外国人(僕のこと)に撮影をやめるように言いなさい」とBは言われていたらしい。
どうやらBはスピード違反で捕まったらしい。しかも免許を持ってきてなかった。日本でこれやったら重罪だけど、5000円ぐらいの罰金を1000円ぐらいに値切っていた。しかも本当はバイクを使わないで帰らないといけなかったらしいけど、僕が外国人で無事にハノイまで送らないといけないとか言って事なきを得たらしい。さらにBのスマホの調子が悪かったからできなかったけど、警察の本部で働いている親に連絡すれば、お咎めなしにしてもらえたらしい。これはB本人ではなく、Bの親が言っていたことだ。おもしろいでしょ。
ベトナムの映画館でアホなことする
夕方前にはB実家に着いて、シャワーを浴びて仮眠をとった。夕方に起きるとみんなが夕食の準備をしてくれていた。その日はベトナムの家庭料理というものを初めて味わうことができた。アメリカにいるときBが作ったものを何回か食べたことあるけど、普通に自分の口に合う。おいしかった。
食事も終わり、もう7時を回っているので、今日はもう終わりかと思っていたけど、Bが「どっか行きたいところある?」と聞いてきた。
「たとえば?」と僕が聞き返すと。
「カフェとか」と返ってきた。
お、と思ったけど、まだ連れてってくれるとは言ってないのでわからない。行きたいなら近くにあるから勝手に行けば?という意味で聞いてきただけかもしれないし。とか考えていたら
「食器洗って、準備してからね」と、Bが連れてってくれることが決定した。
ちょっと不安になるぐらいBが優しくて、素直に喜んだ。Bの準備が終わるまでBのお父さんと茶道に関するYouTubeを一緒に観ながら待った。
Bが連れてってくれたのは、ビルの屋上にあるおしゃれなカフェだった。外国人は僕だけのようだ。ときどきBは電話のために僕をひとりにする。なんか付き合ってる人がいるとかいないとか話していたので、その人と電話するのかもしれない。普段、僕が彼女(今はいない)の話をしたりすることはあるけど、Bが彼氏の話をすることは一度もなかったけど、今回は初めてその存在を匂わした。
「言い寄ってくる男なんてたくさんいるから結婚なんていつでもできる。今年中には結婚してると思うよ。」という話をもう3年も言い続けている。そのたんびに
「ルージュラみたいな顔して何言ってんねんや」と心の中で思わないで、Bに直接伝えている。このやり取りをいつもやっているので、あまり気にしてなかったが、一応恋愛的な活動があったことに少し驚いた。
おしゃれなカフェではあるが、さすがにひとりでお茶を飲んでいても楽しくはないな、と思っていたらBが帰ってきて、この後は帰るのかなと考えていたら、「映画行こう」と言ってきた。もう何なんや、この優しさの割合多めのツンデレ対応。やはりこの旅行中、終始Bの機嫌は良さげだ。
『ジョーカー』を観たかったみたいだけど、近くの映画館ではやっていなかったらしく、代わりに『マレフィセント2』を観ることになった。ネットでシートを予約しているときに、どこに座りたいかと空いている席が表示されている画面を見せながら聞いてきた。ど真ん中にひと席だけ予約が埋まっているだけで、カップルシート以外空席しかなかった。それを見たBはニヤニヤしながらこんなことを言ってきた。
「この埋まっている席の両隣を私たちで座ろう」
一瞬、何を馬鹿なことを言ってるんや、と思ったけど、そういうしょうもないことはこういう時にしかできないとも思ったので、OKした。もちろん普段はそんなことはしないし、考えもしない。僕はどちらかといえば保守的な人間で、人に迷惑をかけるのは嫌だし、そもそもそんな変わったことをする勇気さえないだろう。ベトナムの夜がそうさせた。
「ポップコーンとかその人の前で渡したりしようぜ」とか、およそアラサーの2人がすることではないことを話しながら、映画を観に行った。
しかし残念なことに、僕らの席の間に座る予定であった人が来ることはなかった。結局、一緒に映画館に行ったのに、間にひとつ席を空けて座るというおかしな状況で映画を観た。普通に『マレフィセント2』が面白くて、途中から気にしてなかったけど、後ろに座っていた何組かのカップルには1席空けて座る変な奴らだと思われたことだろう。
僕らが予約した席の両サイドを陣取っているのを見て映画を観るのを止めた可能性もあるので、その人が来てから座れば良かったかもしれないね、と反省しながらBの実家に帰り、その日は倒れるように寝た。
最終日
最後の日は、お土産を買いに行きたかったので市場を回ってもらって、途中にアイスクリームを食べたり、エッグコーヒーを飲んだり、ランチを食べたりした。もちろんバイクでの移動だ。
エッグコーヒーというのは、ハノイ発祥の卵とコーヒーを組み合わせた飲み物だ。飲む前はゲテモノな飲み物を想像していたけど、卵というよりそれからできるカスタードとかプリンのような味で、甘くておいしかった。
そのエッグコーヒーを飲んでいるとき、共通の友人のCにビデオコールしようということになった。Cは中国人の女の子で、アメリカにいたころ一緒のアパートに住んでいたもうひとりのルームメイトだ。初めは、この3人で同じアパートに住んでいたのでみんな仲良しだ。ちなみにCはレズビアンとかバイセクシャルではないけど、性格は3人の中で一番男っぽい。周りにはちょっと怖い印象を与えるけど、身内にはすごく優しいヤンキーのような性格だ。
そのCと久しぶりに話した。Cはまだアメリカにいるのだが、一緒に暮らしている彼氏はちょっと離れたところで仕事をしているらしく、電話かけたときはひとりで寂しそうだった。でもズバズバとものを言う性格は健在で、Cが学校の冬休みに入る段階で日本で集まるのはどうかという話が出たとき
「日本にかっこいい人おらんの?」とCが言うもんだから
「いるで!僕みたいなハンサムがたくさんね!」と返したら
「あーもう日本行きは無しね。あんたみたいなウンコがたくさんいる国なんて行きたくないわ。」と言われ、どうやら日本での同窓会は開催されそうになさそうだ。
結局長いことビデオコールし、町を散策していたらもう夕方になってきた。この日が最終日と言ったが、実は大阪に帰るフライトは次の日の午前1時40分だから、今日1日は丸々使える。というかその時間のフライトしかなかったのだ。
一旦、Bの実家に帰り、パッキングを済ませる。夜ご飯はまた市場に行って、鶏の足を食べた。夜にBの友達が合流することになっていて、それを食べ終わるころにやってきた。Tという名前で、日本系の会社イオンで働いているらしい。上司は日本人だと言っていた。
僕はしばらく彼女がいないのだけど、このTは前にBが僕に紹介してくれようとしてくれた子だ。当時から彼女は欲しかったんだけど、あまり紹介とか遠距離は興味がなかったので断っていた。
Tは英語も話せるし、ノリの良い感じの良い娘だった。特に連絡先を交換したりしたわけじゃないけど「次ベトナム来たときはTに案内してもらいな」とBが囁いてきた。
「いや、お前も来いよ」と言っておいた。
またBの実家に帰り、夜の11時にタクシーが来ることになっている。みんなリビングでテレビを見ており、おそらく僕を見送るために集まってくれているのだろう。日本に来ることがあったら、連絡くださいね、と伝えて玄関を出た。
Bは一緒にマンションのエントランスまで来てくれるようだ。年始に「しばらく会えなそうね」と言って台湾で別れたが、結局1年経たずに再会することができた。しかも普通に旅行するだけでは絶対にできないであろう経験をすることができた。
これは全て留学できたおかげだ。まだまだ英語はからかわれるけど、こうやって外国の友達と旅行までできるなんて、なんて楽しいんだろう。人見知りで、極めて保守的な自分の地味な人生は決して悪くないもんだと思えた。またBともすぐに会えるだろう。今度は中国人のCと一緒に会えたらもっと楽しいはずだ。
3人で一緒に何か仕事できたらおもしろいなとも思った。といっても自分の今のやってることも、ビジネスとしていどうなのって感じだけど、何か3人でできるように考えるのもありかもしれない。まずは自分のことを養えるようになるのが先だけど。帰ってからもっと頑張ろうと誓った。
いつもより強くBにハグをしてお別れをした。
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